【訪問日】
2023.9.17(日)
【所在地】
【標高】
670m(唐戸峠)
【走破距離】
31.5km
【走破時間】
10時間59分5秒
【平均速度】
3.2km/h
【概要】
宇陀市は、平成18年1月1日、宇陀郡の旧大宇陀町・旧菟田野町・旧榛原町・旧室生村の4か町村の合併により誕生しました。
宇陀の地は、古くから「古事記」「日本書紀」等の歴史書のなかに記載がみられ、神武伝承の舞台としても知られています。また「万葉集」では柿本人麻呂の「かぎろひ」の歌等にも詠まれており、これらのことから古代における王朝との関わりをうかがうことができます。
室生寺は奈良時代末、東宮(のちの桓武帝)の病気平癒を願った興福寺の僧賢憬(賢璟)が創建。現在の寺観を整えたのは賢憬の弟子修円といわれる。その後、一時衰退したが、江戸時代元禄年間に5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の庇護を受け再興された。このころから、同じ真言宗で女人禁制だった高野山金剛峰寺に対し、室生寺は女人の参詣を許可。そのため女人高野と呼ばれ、女性の信仰を集めた。境内には柿葺きの金堂(国宝)や弥勒堂(重要文化財)、檜皮葺きの本堂(国宝)などが散在。金堂には、本尊釈迦如来立像(国宝)をはじめ、十一面観音立像(国宝)など木造の貞観仏5体が安置されている。このほか、弥勒堂の釈迦如来坐像(国宝)などの優れた貞観仏が伝わる。(但し、弥勒堂は2017年7月20日から2019年3月末(予定)まで全面改修工事により参拝できません)屋外に立つ古塔としてはわが国最小の五重塔(国宝)(高さ16m)は、1998年の台風で大きく損壊したが、現在は修復されている。塔の左の道を登ると御影堂(重要文化財)のある奥の院がある。シャクナゲやモミジが境内を美しく彩ることでも有名。(公式サイトより引用)
【感想】
今回は次なる挑戦として、宇陀地域の室生寺へと脚を向けました。前日の夜から出発して『大和朝倉駅』のロータリーにて朝食を摂ると、宇陀市を目指します。
最初に桜井市の忍阪区を通過するのですが、この時に対面した朝焼けが実に見事で感動致しました。
雲が山頂に掛かり、この景観だけで挑戦の価値があったと心から思いました。田園風景も実に美しく、奈良の良さに改めて気付かされました。
感動とやる気に満ちたスタートでしたが、大宇陀町に入ったところで早くも後悔します。
予想はしておりましたが急勾配な国道、汗を冷やす濃霧に謎の大樹のシルエットと、鳥頭は異次元に迷い込んだ事を確信致しました。
人里に辿り着くと高山右近の碑と沢城跡を拝見。
ここから暫くは農道、山道を進んで行きます。
たまたま見付けた資料館は事前予約制でした、残念。
途中で直売所を発見。おばあちゃんのトマト、甘くてとっても美味しかったです。
この次に赴いた『仏隆寺』にて、彼岸花を鑑賞させて頂きました。
ちなみに、特に掲載はしておりませんが道行きで幾つかの名所にも簡単に拝観をさせて頂いております。
ここから室生古道を経由していくのですが、清水が流れる苔むした石畳には、柳生街道を彷彿とさせるものがありました。
室生古道を越えると、いよいよ室生寺が目前に。
山上から見下ろす旧室生村は、まさに雄大でした。
自然に溢れ、農村地帯が広がる山上に比べ、室生寺周囲の河川部には観光区域が広がっているのが何とも興味深いと個人的には感じます。
ここで漸く女人高野『室生寺』さんに到着となります。
下山中にも感じておりましたが、室生という地域は荘厳です。
眼前に聳える石階段に慄く方も散見されました。
それだけに、奥の院からの景観は息を呑むものがありました。結構な汗も零れ落ちておりましたので、境内にて暫く腰を下ろしておりました。
下山後は室生口大野駅へと向かいます。
県道28号を通るのかと思いきや、自然歩道を経由する事となり、少々圧倒されました。
自然歩道を抜けると、いよいよ駅前へ。
眼前に広がる宇陀川が美しく、心が洗われます。
大野寺にご挨拶をすると、駆け足で駅へと向かいます。本数が少ないことを危惧していたのですが、後から調べると大阪線に位置する為、結構な本数が出ていたのですね。
帰路では疲労もあり、ぐっすりでした。
予想を上回る関門の数々に流石に疲労困憊となりましたが、充実感もひと塩でした。
今回は絵葉書と、健脚祈願のわらじ守を購入。
伊賀国にも肉薄し、残すは紀伊国方面のみとなりました。これだけ歩みを進めても、未だに吉野郡に挑む自信は得られません。
最後の到達点は、長い挑戦になりそうです。
お立ち寄り頂きまして、ありがとうございました。
次回も宜しくお願い致します!
- See you next place ! -