【訪問日】
2023.9.24(日)
【所在地】
【走破距離】
12.8km
【走破時間】
3時間59分5秒
【平均速度】
3.21km/h
【概要】
楠公矢除身替観音寺。
詳しい創建年は不明ですが、寺伝によると建武年中(1334〜36年)に一宇を建立し、河内国芹生谷に祀られていた観音像を当寺へお迎えしたとされています。
また当寺は「身替り観音」で知られますが、由来は、元弘元年に楠木正成がこの地へ身を隠すことになり、そこに坂田真之亟が正成公を討ち取りに攻め現れ、1本の矢が正成公の胸を貫いたが、不思議に一滴の血潮も流れず、何の傷痕もなかった。正成公は観音寺の本尊へ拝すると、観音像の左胸から血が赤黒く流れていた。
上記の伝えから「身替り観音」や「矢除観音」と呼ばれるようになりました。
近年では特に交通安全、病気平癒等にご利益があるとされ多くの方が参拝されています。
俗に笛吹の宮といわれるこの神社は「延喜式」神名帳に葛木坐火雷神社二座とあり、忍海郡の古社。県内にあった古社の中でも官幣大社級。
祭神は火雷神と笛吹連の始祖天香山命。火雷神は火之迦具土神ともいい火の神。天香山命は石凝姥命ともいわれ、天照大神が天の岩戸にかくれたとき、天香山の土を掘って鏡を作り、竹で笛を作って吹き鳴らした、と神話に伝えられている。古代、王朝の笛師をつとめた笛吹連がこの地に居住、天香山命を自家の祖神として祀ったのが始まり。
本殿の北西には横穴式石室に家形石棺を安置した径25mの円墳があり、笛吹連の祖建多折命の墓であろうといわれてる。(公式サイトより引用)
【感想】
今回は以前から気になっていた寺社へと参詣。
まずは楠木正成のエピソードで有名な『楠公矢除身替観音寺』へと脚を向けます。
『屯鶴峯』までは訪れたことがあるのですが、今回初めて『関屋駅』を訪れました。
山間部の住宅地を抜けて行くと、身替観音様へと到着します。決して大きくは無いお寺でしたが、丁寧に整えられており、非常に心穏やかになれる場所でした。
絵馬を拝見すると、流石は楠公様に縁あるお寺ですね。折角なので八十八ヶ所めぐりもさせて頂きました。
ぐるりと詣らせて頂くと、最後に社務所にて切り絵御朱印を頂きます。
お話上手な大黒さんで、再び世間話にお伺いしたいと感じました。
身替観音寺を後にすると、暫く国道沿いを進みます。この辺りは国道でも高度があり、景色が素晴らしいですね。
写真の向こう側に『屯鶴峯』と、ダイヤモンドトレイルの入り口があります。いずれは挑戦してみたいですね。
国道を進んでいると、ジョギングやウォーキング、サイクリングを楽しむ方に幾度も遭遇しました。
この日は気候も良く、本当に運動日和でしたね。
立派な御山が見えたところで、葛城市に到着です。
市中では彼岸花が綺麗に咲いておりました。
花見物に参られているのか、道の駅『ふたかみパーク當麻』も賑わっている様子でした。
そのまま国道沿いを進み、當麻寺を通過。道中ではだんじり祭の告知がされておりました。
道の駅『かつらぎ』で軽く休息を取り、更に国道沿いを進みます。こちらも大変な賑わいで、やはり大阪から参られた方が多い様でした。
ここから更に山手へと進みます、本当に景色が素晴らしいです。
奈良の名店『梅乃宿酒造』様に一礼。
住宅地に入ると、次の目的地である『葛木坐火雷神社』へと到着です。
こちらも大きくは無い神社ですが、苔が非常に綺麗でした。
こちらに神社に詣らせて頂いた目的はこちらです。
日露戦争記念の加農砲。やはり火雷神様が祀られている事が奉納の由来なのでしょうか。
私以外にも加農砲を見学に来た方が散見され、結構な賑わいとなっておりました。
加農砲を堪能すると、改めて本堂へとご挨拶に伺います。
改めて見回しても本当に苔が美しく、木漏れ日の差し込みもあって心が澄まされる空間です。
最後に一礼をさせて頂くと、こちらの神社にも彼岸花が咲き誇っている事に気が付きました。
艶々と鮮やかな赤色は、何度見ても心惹かれるものがありますね。
お立ち寄り頂きまして、ありがとうございました。
次回も宜しくお願い致します!
- See you next place ! -